
東武東上線和光市駅から歩いて10分ほど、和光市中央までやって来た。
川越街道を、成増から白子川の渓谷を渉り、和光市側の高い崖を登ったあたりである。
川越街道は、バイパス新道旧道、と何本かに別れていて、目指す場所は、旧道から少し入ったところ。
地図を見つつ目星を付け、街道から細い道を歩いていくと、じきに小路は行き止まりになった。
周りは住宅と低層アパートが建っていて、その外側は、本田技研和光工場が取り巻いている。
写真上、真ん中の平屋は地域の集会所で、今回目指す「浅久保富士」は、その奥にある。
建物隣の、赤い鳥居を潜っていくようだ。

赤い鳥居を潜り、集会所脇の狭い道を進むと、石鳥居が現れる。
その先に「浅久保富士」があり、同じ敷地には、「武蔵御嶽神社」と「稲荷神社」の社殿が置かれていた。
石鳥居脇の石柱には「富士山道」と彫られていて、富士塚の案内になっている。

鳥居を潜ると、「浅久保富士」の全景が目に入ってくる。
高さ3㍍程、周囲20㍍程か、さほどの大きさではないが、整えられた山容とたくさんの石碑が特徴的である。


富士塚の周りを見てみよう。
写真上・上は、入口鳥居から向かって左側から見たところ。
富士塚を回る道が造られ、それに沿って石碑が置かれている。
写真上・下は、鳥居から見て富士塚の奥で、そこに「武蔵御嶽神社」の社殿があった。
こちら側の富士塚は、石積みが崩れていて残念な状況である。

正面に戻り、登山道を進むことにする。
登山道はコンクリートで舗装され、2回曲がって頂上下に至っていた。
緩やかな登りで、かつ道も整備されているから誰でも登拝が出来るのが嬉しい。

頂上は、1㍍ほどの石積みで、その上に奥宮の石祠が建っていた。
石積みの周りを登山道が巡っていて、これはお中道を模したものだろう。
登山道から3段の石段を登り、そこから奥宮を拝するようになっていた。
奥宮の石祠も石積みも、そしてお中道も、ゴミ一つ無く清掃されていて気持ちが良い。

「浅久保富士」の特徴的なのは、多くの石碑である。
富士塚の周囲に30基かそれ以上の石碑が置かれている。
富士山登頂記念や富士講の石碑など、富士信仰に関わりのある石碑が多い。
石碑に彫られているのは、地域の人物や団体の名前が多いから、地域の富士信仰が盛んだったことが伺えた。
「武蔵御嶽神社」と「浅久保富士」は以前、もっと大きな 境内を持っていた。
本田技研の和光工場が拡張されることになって、境内の多くを工場に渡し、小さくここに再建されたのだそうだ。
そのため、石碑が多くあるように見えるのだと思う。


その石碑の中に、富士塚に欠かせない猿を描いた石碑が一対あった。
猿は富士浅間神社の使いで、富士塚の入口に猿の石像が置かれているところも多い。
ここでは、石碑に線彫りで猿の像が描かれていた。
見え難く恐縮だが、お互い向かい合って、合掌する姿が描かれている。
「浅久保富士」は、大変地味な富士塚である。
場所は小路の奥、行き止まりで、神社自体も祠に近い社殿があるのみ。
それにも拘わらず、きちんと清掃管理された富士塚が素晴らしい。
地域の皆さんの、富士塚に対する愛着が感じられた。
...であれば、これからもこのまま、富士塚として残っていってくれることだろう。
ぜひ、貴重な石碑とともに、残っていって欲しい。