日光二荒山神社・宇都宮二荒山神社
日光二荒山神社 (国幣中社・下野国一宮) 栃木県日光市山内2307
御祭神 二荒山大神(大己貴命 田心姫命 味耜高彦根命)
古くより、霊峰二荒山(ふたらさん・男体山)を神の鎮まり給う御山として尊崇したことから、御山を御神体山と仰ぐ神社で、日光の氏神様でもあります。御神域は3,400ヘクタールにおよぶ広大な境内地で、日光連山、華厳の滝、いろは坂もその神域に含まれます。
二荒山神社の創建は、勝道上人が767年(神護景雲元年)二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたことに始まるとされています。この祠は現在の別宮となっている本宮神社にあたります。
御祭神は大己貴命(父)、田心姫命(母)、味耜高彦根命(子)の親子三神で、この三神を総称して二荒山大神と呼ばれています。(日光二荒山神社HPより抜粋引用)
宇都宮二荒山神社 (国幣中社・下野国一宮) 栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1
御祭神 豊城入彦命 相殿 大物主命・事代主命
二荒山神社は大変歴史が古く、創建は第10代崇神天皇の御代にさかのぼります。第16代仁徳天皇の御代(今から約1600年前)に毛野国が上下の二国に別けられ、御祭神豊城入彦命の四世孫奈良別王が下毛野国の国造に任ぜられます。この時祖神である豊城入彦命を荒尾崎(下之宮)に祭神として祀りました。その後承和5年(838年)に現在の地臼ヶ峰に遷されたと伝えられています。
社殿は、何度も火災にあい、近年に入ってからも天正13年、安永2年、天保3年、更に明治維新の戊辰の役と4度も火災にあっています。現在の社殿は明治10年に再建されたものです。
御祭神の豊城入彦命は第10代崇神天皇の第一皇子です。崇神天皇の後嗣として、弟の活目尊が天皇となった(後の垂仁天皇)ことから、豊城入彦命は大和朝廷の東國守護に下向され、この地に来られたと日本書紀に記されています。その後、命の子孫も詔によって下り、東國御治定のよりどころとして祖神豊城入彦命と大物主命(大国さま)事代主命(恵比寿さま)を合わせて祀られました。(宇都宮二荒山神社HPより抜粋引用)

